アウンヨガ

ハッピーな心づくりを、ヨガの智慧で。インド政府公認ヨーガセラピーの

怒らない心をつくる心のコントロール法

私がヨガの学校で教わった、怒らない心を作る心のコントロール法。

まずはヨガ学校で心の扱い方について学びました。

ヨガの成り立ちから始まって…

順々に話しを聞いていたら、そのうちにその考え方に感化され、

怒る回数が減っていきました。

 

先生には毎月、怒ったら、その数を記録しておくように言われました。

今月は何回、翌月は何回…と。

活発な小さな子ども2人の子育て真っ最中で怒らない日はない

くらい、毎日怒っていました。

 

あるとき気づいたのは、怒る自分に煽られてもっと腹が立ってくることでした。

あれ?私、怒っている自分に煽られてもっと怒りが増してる?

火がついたたき火に灯油を注いでいるかのように、

もっと怒れ、もっと怒れ…と。そこまでいくと八つ当たりでしかありませんでした。

 

私はそんなに立派か?ノー。子どもだけが悪い?ノー。夫だけが悪い?ノー。

自分の怒りに油を注がないようにしました。

怒っても、スッと火を消す。ちょっと怒りそうになったら、すかさず鎮火。

 

もおーッと怒りそうになったら、待て待て待て、と自分を落ち着かせる。

本当に腹の底から怒りが吹き出したときって、

頭がカーッときますよね。

本当に「カーッ」という言葉がピッタリなほど、

マグマが吹き出すように熱い塊が自分の中から頭にむけて

突き抜けていくかのよう。

 

その時の頭の状態は、きっと超高血圧だと思います。

頭の血管が切れるような。血管がパンパンに膨れ上がって

いまにもちぎれ飛びそう。

そんな状態を保持していたら、どんなに普段は低血圧の

人でも血管が切れるんじゃないでしょうか。

 

怒り心頭に発すと言いますね。

頭にきた、とも言います。

脳卒中を起こしかねない怒りです。

 

まずい、と思いすぐにクールダウンさせなければ、と

思うようになってからは、できる限り怒りの感情を

鎮めて、良い考えに変えます。

 

自分で割った卵を落として床がぬるぬるだらけ…!

すごくイライラする光景です。

そんな時でも、即座に、瞬時に

「そか。床をきれいに拭くから、

床掃除ができて良かったじゃない」

と思いつきます。

するとついでに床がキレイにできて良かった~

と思います。

 

むりやり、○○になるから良かった、と変えます。

いっけん、不幸に思えることでも、きっと

良い面を見いだせると思います。

今日明日単位ではなく、もっと長い目で見ることもできます。

 

昨年、母が2月に骨折して1ヶ月入院しました。

3回、飛行機で通い、介護保険の手続きやベッドの用意、

階段の手すりの増設、弁当宅配の手配などなど、

様々なことをし疲れ切りました。その時は

父の八つ当たりを受けて、心が真っ黒になりました。

 

でも今思えば、昨年で良かった。

今年ならコロナの影響でもっと大変だったはず。

1年経たないと、同じ骨折するのなら、

昨年で良かった、とは思えなかったはず。

 

だから今は分からないけれど、きっと後々になって

この出来事は「ああ、あの時で良かった」と思えるようになって

いるのかもしれないのです。

 

あのとき階段に新たな手すりなど要らないと言う父に腹を立て

ストレスに思いながらも根気強く何度も説き、

手すりをつけさせてもらったら、今度は父の

パーキンソン病が分かり、手すりのお陰で助かったと

3ヶ月後にお礼を言われました。

 

知人は2回離婚し、3回結婚しました。

2回めの離婚後はきっとすごく辛かったでしょう。

でも、3回目がありました。後からでないと分からないことってあります。

その時だけを見ないで、もっと大局で見ることを示唆したことわざが

あります。

「万事塞翁が馬」

 

塞翁が馬は中国故事です。

「昔、辺境(塞翁)の地に暮らす占い師のおじいさんの家の馬が逃げてしまった。

村人は気の毒がったが、おじいさんは「いいや、別に」と意に介して

いない様子。ところが馬が野生馬を連れて帰ってきた。村人は

「じいさん、ついてるなあ」と言ったが、おじいさんはまたも

意に介していない様子。そしておじいさんの息子がその野生馬に乗って

落馬して足を骨折した。村人達は「かわいそうにな」と言うが、

おじいさんは「いや、別に。」と気にしていなさそう。

 

そのうち戦争が始まり、村から若者が徴兵された。しかしおじいさんの

息子は骨折していたので徴兵を免れた。村人たちは「良かったなあ」と言うが

おじいさんはいつも通り。」

 

このおじいさんは常に大喜びもしなければ、すごく悲しんだり

ものすごく怒ったり、激しく落胆もしません。

 

ちょっとこれは極端な例え話の物語ですが、

感情を表すのは良いけれど、その感情による緊張状態を持ち続けると

過緊張状態となり、血液を汚します。

 

血液が汚れると体も汚れます。だから平安ではない、感情の浮き沈みは

極力最小の振れ幅にはやく戻した方がいいのです。

 

それには考え方の転換が一番。

何があっても、物事には表裏があるので、良い面を見ようと思えば

必ず見つかります。思い切った発想の転換をしてみるのです。

むりやりにでも。最初はムリヤリでも、段々と本当にそう思えてきます。

 

もちろん病の宣告を受けたなど、ショックを受けたときは

そんなことはできません。そうした大きなショックは心理学的な

心の変化と時間の経過に身を委ねます。

 

けれど、身近で頻発する「怒り」のコントロールは可能です。

 

憎いと思った相手からの出来事が、後々10数年後、いえもっと30年後には

逆に良い事に捉えられ、認識が変わってしまうことって本当にあります。

 

このように考えを変えていくと、結構簡単に自分を落ち着かせられるように

なりました。

あれ?怒りって簡単に消せるのか。

今まで怒って感情を波立たせて、よけい疲れていたのは何だったんだ?

ムダにエネルギーを消耗していたのか。あとで自己嫌悪に陥っていたし。

 

そう気づいて、ようやく怒ることが世の中にそんなに多くないと思うようになりました。理不尽なことを受けたら悲しくなりますが、怒りはわかず、飲み込めるように

なりました。悲しみも時間が癒やしてくれます。

 

相手の立場や状況にも想像を働かせるようになりました。

きっとこの人がこういう態度をとるのは、何か嫌なことがあったんだな、

と思いをはせると怒りが溶けてなくなっていきました。

その人が今、どういう状況なのかを想像することが

怒りのコントロールに役立ちました。

 

誰かにもし怒ると、私の方が自己嫌悪に陥ってしまうのが分かっているので

怒らなくなりました。怒りという感情が自分の中でどんどん少なくなっているので、

他の人がどうしてそんなに怒るのかもよく分からなくなってきました。

でも昔の自分を思い出すと分かります。

 

怒りはコントロールできるんです。

考え方をちょっと反対側からみるように変えるだけで。